Reebok INSTAPUMP FURY 94 “CITRON” Release!
via
reebok.jp
リーボックのポンプフューリー
生誕30周年を記念して、
1994年にリリースされた
初代通称シトロンが復刻。
Reebok
INSTAPUMP FURY 94
CITRON
発売当時を再現したスペシャルデザインの
シューズボックス付で好評発売中。
https://reebok.jp/commodity/SREB1055D/RE1759BU37638
元リーボックジャパンスタッフが語った
インスタポンプフューリーの誕生当時
インスタポンプフューリーは、1994年にリーボックがリリースした高機能ランニングシューズ。モデル名にもあるINSTAPUMPテクノロジーは、シュータン上部に取り付けられたコンプレッサーと呼ばれる手動式の注入システムを使わず、圧縮炭酸ガスを専用のインフレーター(注入器)で、アッパーに配されたブラッダー(空気室)へと瞬時に送り込むことができたことから、INSTAPUMP(インスタポンプ)と命名された。このテクノロジーの利点は、瞬時にフィット感のアジャストができることにプラスして、ブラッダーがアッパーに内蔵されるのではなく、アッパーの一部とすることで軽量化に大きく貢献できることも挙げられる。当初インスタポンプは、ワールドレベルのアスリートが着用する陸上用スパイクやマラソン用シューズ、当時のトップテニスプレーヤーであったマイケル チャンが着用したインスタポンプ マッチミッドに採用され、どちらかいうと大量に販売して利益を得るためのプロダクトというより、トップアスリートの最高のパフォーマンスを引き出し、ブランドの機能性の高さを誇示するためのプロモーショナルアイテムというスタンスだったといえる。そんなINSTAPUMP テクノロジーだが、インスタポンプフューリーがリリースされた1994年あたりから、一般ユーザーもターゲットにし始めた。それに伴い、インフレーター用の注入口と手動のコンプレッサーを併用することができた。インスタポンプフューリーは、中足部のミッドソールを大胆に排除し、その部分にグラフライトと呼ばれるグラスファイバー製プレートを配したインパクトのあるデザイン、スタジアムにおいて最も視認性の高いカラーであると言われるシトロン(明るい黄色)とレッドを組み合わせたインパクトのある配色により、スポーツシューズマーケットに大きな衝撃を与える存在となった。しかしながらデビューイヤーとなった1994年は、パフォーマンス用途、カジュアル用途のいずれにおいても良好なセールスを記録することはできなかった。しかしながら1995年を迎え、世の中がハイテクスニーカーブームへと突入すると、ナイキ エア マックス95とともにブームをリードする存在に。それ以降インスタポンプフューリーは、ストリートシーンを代表するスニーカーとなった。そのきっかけとなったのは、日本では『Boon』や『COOL TRANS』を始めとしたストリートファッション誌に集中的に取り上げられたこと。さらにはアイスランドの歌姫ビョークがカルチャー誌『Cut』の表紙で履いたこと、アメリカのロックバンド、エアロスミスのスティーブン タイラーがステージで着用していたこと、さらには当時人気絶頂だったファッションブランド、W&LTのデザイナーであるウォルター ヴァン ベイレンドングのお気に入りだったことも、このシューズの人気を押し上げることとなった。デビューから30年を迎えた今もなお、インスタポンプフューリーはストリートシーンにおいて根強い人気を誇っているが、それは、このモデルがカジュアルスタイルだけでなく、モード系ファッションやハイファッションを始めとしたあらゆるコーディネートにマッチするからで、その奇抜ともいえる唯一無二なデザインは、意外にも汎用性が高いのである。1993年に、このシューズのサンプルが日本に到着した時のことを今でも覚えているが、リーボックジャパンのセールススタッフ、マーケティングスタッフの多くが「カッコいい!」「インパクトのあるデザインだねぇ!」と言ったが、セールススタッフの多くが1万8500円という高価格もあって、展示会では「足数はあまり出ないだろうね…」と話していたことを憶えている。ましてや30年が経過しても良好なセールスを記録し続けるだろうということを予想できた者は皆無であった。リーボックのインスタポンプフューリーのデザインは、現在でも古さを全く感じさせないように、時代を超越した存在なのである。
南井正弘(Runners Pulse編集長、元Reebok Japan)
1994年当時の雑誌広告ヴィジュアル(上)。
ファッション誌『CUT』(1995年5月号)でビョークが着用した
表紙が話題となり、スニーカーとしての
インスタポンプフューリーが時代を席捲した(下)。
協力:RBKJ株式会社