Photo : Soma Doi (STUH)
Edit & Text : Shin Kawase

Hiko Mizuno OB talks
"The most important thing for shoe creators"
by SHOES MASTER Vol.2

来年で20周年を迎える専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジの「シューズコース」。シューズ・マスターでは、創刊当初から「シューズコース」を取材してきた。そのアニバーサリーイヤーを祝して、株式会社ミズノの齊藤健史氏(ヒコ・みづのOB)をゲストに迎え、編集部主催による特別セミナーを7月に開催。その模様は本誌とウェブスペシャルで紹介したが、今回はその第2弾をお届けする。

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10月19日の夕刻。東京・渋谷にある青山校舎で開催された特別セミナー第2弾は、水野孝彦理事長も見守る中、株式会社アシックスの石指智規氏(ヒコ・みづのOB)を招いて行われた。我々は「シューズコース」設立15周年にあたる年に、神戸のアシックス本社を訪れ、石指氏を取材している。その取材特集は大きな反響を呼び、読者のみならずシューズ業界でも話題になった。その彼に「シューズクリエイターにとって一番大切なこととは何なのか?」を話してもらった。

ヒコ・みづのOBが語る
「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
by SHOES MASTER Vol.2

ゲスト:
石指智規(Tomoki Ishizashi)
株式会社アシックス パフォーマンスランニングフットウエア統括部
開発部 スタビリティーサイロ開発チーム所属

1987年、京都府生まれ。京都府育ち。小学5年からバスケ部に所属し、中学1年時にナイキのジョーダン16 に衝撃を受け、バスケットボールシューズの絵を描き始める。中学2年時に親の勧めで大手3社へデザイン画を送り、アシックスから届いた丁寧な返事に感銘を受け、アシックスのシューズデザイナーを目指す。ヒコ・みづの卒業後、アシックスに入社。6年目に念願だったゲルバースト20周年モデルを手掛ける。2016 年にランニング開発チームへ異動し現在に至る。

ナビゲーター:
河瀬 真(SHOES MASTER発行人&プロデューサー)
2004年3月創刊の雑誌「SHOES MASTER」の発行人&プロデューサー。2009年、書籍シリーズ「Sneaker Tokyo」を発行。スニーカーに関するウェブ、広告、カタログ、映像、販促物などを手掛け、2014年からランニングギア専門誌&WEB「Runners Pulse」プロデューサーを務める。2022年8月には、アトモスの本明社長らと共に東京のスニーカーカルチャーを後世に伝えることを目的とした書籍「Sneaker Heritage by SHOES MASTER」をスタートさせている。

From birth to admission to Hiko Mizuno
~生い立ちからヒコ・みづのへ入学するまで~

前回同様にヒコ・みづの「シュー&バッグメーカー」の学生の中から、スニーカーやスポーツシューズに興味があり、スポーツメーカー入社を希望する人、自分のブランド、スニーカーショップを立ち上げたい人など25名の学生が集結。青山校舎内の多目的スペースは、アシックス社員をはじめ、ヒコ・みづのOBも駆け付け満員御礼。学生達は、2回目ということもあり、和やかな雰囲気の中でも皆、真剣な表情で耳を傾けていた。

セミナー前半は、石指氏の生い立ちから、ヒコ・みづのへ入学するまでの経緯が語られた。京都で生まれ、小学5年からバスケ部に所属し、中学1年時にナイキのジョーダン16 を見て衝撃を受けて人生が変わったこと。それからバスケットボールシューズの絵を描き始めたこと。中学2年時にはアシックス本社にデザイン画と手紙を送り、返事が来たので3回に渡って手紙を送り、コンタクトを続けたことが語られた。

石指氏が中学1年時から高校生まで書き続けたバスケットボールシューズのデザイン画。総数なんと596モデル。特筆すべきは、既存モデル似もあるが必ずアレンジが加えられ、オリジナルデザインに仕上がっている所だ。

写真上がアシックス本社に送ったデザイン画と手紙。写真下がアシックス本社から返信された手紙。中学生に対しても丁寧な返答とデザイン画に対してのアドバイスが添えられていたそうだ。その誠意に感動し、将来は絶対にアシックスに入社して、バスケットボールシューズを作ると固く誓ったそうだ。

高校に進学すると愛読していた「SHOES MASTER」誌面でヒコ・みづの「シューズコース」の存在を知り、ジョーダン16以来の衝撃を受ける。すぐにでも入学したい衝動に駆られるが、その前に親にアシックスに電話してもらい、「高校からヒコ・みづのに進学して大丈夫か?」と相談。すると逆にアシックス側から「3年コースがいいのではないか?」と勧められたことなど、ヒコ・みづのに入学するまでの経緯が包み隠さず語られた。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL
ヒコ・みづのOBの今と未来~ASICS編~

http://www.shoesmaster.jp/special/hiko-mizuno-shoe-maker-course-15th-anniversary-3

Student Life at Hiko Mizuno
~ヒコ・みづのでの学生生活について~

高校卒業後、京都から上京。当時のヒコ・みづのの寮(新百合ヶ丘)に入所。学校がある渋谷に3年間通いながら、平日の夜は、ひたすら課題をこなし、土日は2年目からアシックスのアウトレット(南町田)でアルバイトに没頭。アルバイトながらも販売員として好セールスを記録していたそうだ。アシックスの様々なシューズを接客販売しながら、同時にアシックスのシューズの勉強ができるという、一石二鳥のアルバイトだったことが語られ、多数作ったという学生時代の作品が紹介された。

中でも一番手ごたえを掴んだのが3年生時に作ったアディダスとのコラボレーション企画(無駄ゼロのサッカースパイク)だったそうだ。石指氏が立案したのは「機能・構造・デザイン」の3つすべてがリンクすることによって無駄がゼロになるというシューズ。製作期間も1ヶ月半という短い時間にもかかわらず、完成度の高い企画とプロダクトにアディダスジャパンスタッフからは高評価を受け、自分でも自信になった一足。

adidas CHECKMATE(2008)
石指智規作

アディダスジャパンとの産学協同プロジェクト(2008年実施)。「無駄ゼロでサッカースパイクを開発せよ!」をテーマにアディダスからソールが提供され、企画、製作プレゼンテーションが行われた。企画立案、プレゼンボードもすべて自ら作成するも、当時の講師から「つまんない」と一蹴。それを機にまたゼロからアイデアを練り直して完成した渾身の一足。当時、懸命にアディダスジャパンスタッフにプレゼンする石指氏の勇姿が写真として残っていた。

学生時代の思い出として最後に語られたのが、アシックス入社採用試験直前に急遽行った学校内でのプレゼンテーション。試験は夕方から(アシックス本社の神戸)だったため、午前中に講師から背中を押されて「シューズコース」全員の前で行われた。テーマは、どこまでも走り続けられるランニングシューズで、タイトルは「第二の心臓、覚醒」。どこまでも走り続けられる、ということは疲れない。疲れないということは、すぐに回復する、ということ。それを実現するためには、ふくらはぎのヒラメ筋を第二の心臓として覚醒させるシューズを開発し、デザインしたものだった。この直前のプレゼンで得た自信が確信と変わり、神戸行の新幹線に乗り込んだそうだ。お陰で緊張することなく、本番の採用試験で堂々とプレゼンができたという。その甲斐あって見事、デザイン採用として合格し、夢だったアシックスに入社を決めた。

「第二の心臓、覚醒。」(2009)
石指智規作

Work at ASICS
~アシックスに入社してからの仕事~

アシックスに合格すると東京から神戸に引っ越して、アシックス社員としての新生活がスタート。デザイン採用だったが、当時はまだデザイン部がなく、開発部の中にデザイナーと開発担当者が混在していたため、入社1年目からデザインと開発の両方の仕事をしていたそうだ。デザインと開発。そして企画チームが加わって商品開発が行われる。その役割分担が一般的には分わかりづらいと考えた石指氏は、企画から製品が出来上がるまでのプロセスを学生に丁寧に説明、解説してくれた。

入社当初は、コート開発チームでテニスシューズを担当。2年目には、当時、アドバイザリースタッフ契約をしていたサマンサ・ストーサー選手(オーストラリア)が着用したフラッグシップモデルに開発担当として着手。と同時にデザイン画も作成し提案。何とそのデザインも採用され、開発、デザインの両方を石指氏が手掛けたテニスシューズが世の中に生み落とされた。

入社2年目にして、開発・デザインの両方を石指氏が手掛けたテニスシューズ、ゲルレゾリューション4。あらためて石指氏のポテンシャルの高さに驚くが、2年目の社員にすべて任せるアシックス社の懐の深さにも感銘を受けた。アシックスには昔から、若い社員にどんどんチャレンジさせる社風があるらしい。諸先輩方は若い社員を温かく見守り、困った時にはフォローしてくれるそうだ。そこに悪しき慣習、年功序列はなく、各部署ともに社員全員がフラットな立場で仕事をしているそうだ。その時、創業者の言葉が浮かんだ。「ころんだら、起きればよい。失敗しても成功するまでやればよい。」鬼塚喜八郎

その後、色々な競技のシューズの開発を担当していたが、バスケ経験者だったこともあり、3年目からバスケットボールシューズのメイン開発担当となる。それから4年間担当し、ついに入社6年目に夢だったバスケットボールシューズのゲルバースト20周年記念モデルを手掛け、リリースさせた。

入社6年目、2016年にリリースされたゲルバースト20周年記念モデル。長年のバーストファンが多く存在する中で、バーストらしい雰囲気は継承しつつもデザインを一新。アシックススポーツ工学研究所と共にドライブ動作を解析し直し、より速いドライブ動作のために再設計。思い切ってリニューアルした本モデルは、自らのバスケ経験を最大限生かした渾身の一足となり、セールス的にも好成績を収めた。

2016年には、リオ五輪レスリング日本代表モデルを担当し、スポーツ庁のハイパフォーマンスサポート事業において、筑波大学と共同で研究開発を行っていた。石指氏は、各選手へのカスタムを想定したベースモデルの開発を担当。吉田沙保里選手、伊調馨選手を中心に、有力選手に何度もヒアリングを行って2種類のベースモデルを選手と共に開発した。

About the work I’m doing now
~現在、手掛けている仕事について~

最後に、現在手掛けている仕事について2019年2月にリリースされたランニングシューズ、メタライドが紹介された。当時、編集部も絶賛だったメタライドは、アシックスのランニングシューズに新たな「エナジーセービング」というコンセプトで作りあげた画期的なモデル。ランナーが少ない力でより長く、より楽しく走ることを可能にした革新的なプロダクトは、発売後、爆発的なセールスを記録して大きな話題を集めた。アシックスの起死回生の一足となったメタライドの開発担当も石指氏だ。

2019年2月、東京・お台場にて行われた東京マラソンEXPOでデビューしたメタライド。アシックスブース内に体感コーナー、試履きコーナー、試走コースが用意され、多くのランナーが実際に履いて走ってメタライドを体感した。体感後、メタライドを気に入り購入するランナーが続出。用意していたメタライドは2 日目で在庫が切れ、急遽近隣の直営店から在庫を取り寄せて販売したほどだったそうだ。結果、アシックスブースの売り上げは過去最高額を記録した。

アシックス史上、最も革新的な機能を搭載した新コンセプトランニングシューズがメタライド。開発期間約2年。サンプル作製ステージ 6 回以上。サンプル作製タイプ数 70 以上。どこまでも走り続けられるシューズを目指し、走行時のエネルギー消費を約5分の1 (約20%)削減することを科学的にも実証した。

最後の最後にサプライズで未発表となる2023年春夏最新作のサンプル(現物)も特別に紹介された。公開できないのが残念だが、最新作のサンプルは驚くほど軽く、デザイン的にも近未来を感じさせる作りになっている。会場に訪れた全員が実際に手に持ち、その感触を確かめていた。作った本人から紹介され、実際に手に取ると、やはり履いてみたくなる。今から春の発売が楽しみだ。

To Mr. Tomoki Ishizashi(ASICS)
Questions from students
~ヒコ・みづの学生からOBの石指氏への質問~

セミナーの前半、石指氏が現在手掛けている仕事の説明が終わると、後半は、ヒコ・みづのの学生との質疑応答が行われた。質疑応答も、終始和やかな雰囲気で行われた。石指氏の後輩一人一人に対して決して上からではなく、学生目線で分かりやすく具体的に答えていたのが印象に残っている。

特別セミナー「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
学生から石指氏への質問:
・学生のうちに取り組んでおいておいた方がいいことは何かありますか?
・今までで失敗、挫折をした経験はありますか?また、挫折をどうやって乗り越えましたか?
・学生の頃、誰にも負けない技術や知識はありましたか?それは今の仕事では活きていますか?
・学生の時と入社後で1番ギャップを感じたことはなんですか?
・来年の4月からスポーツメーカーに入社することになりました。入る前にイメージしていた現場の雰囲気と、実際の現場の雰囲気で何かギャップはありましたか?入社1年目はどんなことを意識して仕事をされていましたか?
etc.

後半の45分という限られた時間では25名の質問すべてに答え切れず、数名の質問で質疑応答は終了した。しかし、石指氏から参加したすべての学生の質問に答えたいと要望があり、後日、すべての学生への返答(文章で)が伝えられた。この誠意は彼の人柄と持ち前のサービス精神の賜物だと思うが、中学生時代にアシックスから届いた手紙の影響が大きいと感じた。ここにもまたアシックスイズムが生きていた。「人間関係の第一の基本は、相手の立場に立って話を聞くこと」鬼塚喜八郎

前回は具体的な内容は割愛したが(プライベートな要素を含むため)、今回は石指氏、アシックスの許諾を得た上で特別に数名の回答をここに掲載する。質問した本人はもちろん、シューズ作りを志す人間にとって参考になる返答だと思う。

石指氏から学生への返答:
Q.学生のうちに取り組んでおいておいた方がいいことは何かありますか?
A.(石指)英語力。これはあって損しないし、あればどこの入社試験においても強みとなります。しかし、(私含め)苦手な人にとってはまず重たい腰をあげる事が一苦労です。先延ばしにはなりますが、英語は就職後でも勉強しようと思えば出来ます。
ですので、学生のウチ(時間のあるウチ)にしか出来ない事で言うと、出来るだけいろんな経験をする事だと思います。出来れば実際に体を動かして体感できる経験が良いです。会社に入るとアイデアを出さないといけない事が沢山ありますが、その時に自身の経験の多さは、アイデアの引き出しの多さに繋がります。そして、実際に体感した経験を元にしたアイデアは、強い自信と説得力に繋がります。

Q.今までで失敗、挫折をした経験はありますか?また、挫折をどうやって乗り越えましたか?
A.(石指)失敗は沢山しましたが、失敗で得る学びはとても大きいので、失敗の度にそれを教訓として自身の成長へと繋げています。また難しいアイテムの開発程、開発段階で何度も高い壁にぶち当たり挫折しそうになります。しかし、そこで気持ちが沈みながらも、(辛いですが)少しでも前に進もうと行動する事で、その行動が周りを動かし、そして周りが自分を動かしてくれて、大きな前進となって壁を乗り越える事ができます。それを繰り返して商品が完成した時の「あの時に折れなくてよかった」という気持ちは、自信と成長につながります。
挫折とは少し違いますが、開発途中で「妥協」や「諦め」があったアイテムは、完遂後必ず後悔が残ります。開発者として後悔が残る商品を世に送り出す事は、正直恥ずかしくもあります。なので挫折しそうな時は、「いま挫折したら後で後悔するかもしれない」と考えて、少しでも前に進む事を心掛けています。

Q.学生の頃、誰にも負けない技術や知識はありましたか?それは今の仕事では活きていますか?
A.(石指)学生の頃はパターンが一番得意で誰にも負ける気がしませんでした。複雑な構造のシューズをよく作っていて、構造とパターン展開を全て頭の中でイメージ出来る様にしていました。更に綺麗な線を引く事と、それを寸分の狂いも無くカットする事も、数を重ねて腕を磨いていました。(包丁も常にピンピンに研いでいました)
アシックスの業務では、数年前までパターンのデザイン線やソール図面を描くのは手描きだったので、線を描くスキルは学生時代の経験値が活かされていました。最近ではほとんどAIでデザイン線を描きますが、手描きのスキルがベースに有る事でAIでも早く綺麗な線が描ける様になったと感じでいます。業務では自分がパターン展開をする事はありませんが、どうすれば作れるか?パターンをどう組めば良いか?どの手順で縫製すれば良いか?等がイメージ出来てそれを人に伝えられる事は、実際に靴を作っていたからこそ出来る強みであり、商品の完成度を上げるのに活かされています。
また、高い完成度を追及する「こだわり」のレベルは人それぞれで、私たちの様な実際にモノ作りをした事がある人ほど高いこだわりを持ちがちです。しかし、仕事ではそのこだわりに余り時間をかける事が出来ません。だからこそ、出来るだけ短時間で自分の「こだわり」の正解にたどり着ける様、学生のウチに徹底的にこだわったモノ作りをする事も大事だと思います。

Q.学生の時と入社後で1番ギャップを感じたことはなんですか?
A.(石指)時間の無さです。大企業なので仕事に余裕を持って作り込めるんだろうと思っていましたが、全くそんな事は無く、常に〆切に追われ、仕事に慣れてきた頃にはドンドンと担当業務が増え毎日が必死でした。特に若い内は要領が悪かったり、確認事項に時間がかかったりして、残された時間の中で納得いくまで作り込むという事は中々出来なかったので、もどかしくもありました。仕事のスピードが上がってきてからは、短時間で精度を上げられたり、作り込む時間が確保できる様になったので、本当にこだわって開発が出来たのは入社4、5年目くらいからだったと思います。

Q.来年の4月からスポーツメーカーに入社することになりました。入る前にイメージしていた現場の雰囲気と、実際の現場の雰囲気で何かギャップはありましたか?入社1年目はどんなことを意識して仕事をされていましたか?
A.(石指)就職おめでとうございます。入社後のイメージは「思ったよりも泥臭いな」と感じました。入社前は様々な業務がスマートに管理され効率的に行われていると思っていたのですが、良くも悪くも開発業務の一つ一つに靴の職人気質を感じました。今でこそデジタル化が進みデザインも開発業務もほとんどがPC上になりましたが、当時(2009年)はデザインやパターン、ソールの図面は全て手描きでしたし、何でも「とりあえず作ってみよう!」と言うようなトライアンドエラーの精神もありました。私はこれは、靴作りの基本を脈々と受け継いでいる様に感じたのでポジティブに捉えていました。
1年目に意識していた事は、まずは業務を覚える事。そして、ヒコで得た知識や技術を積極的に業務に活用し、周りの先輩や上司に自分のスキルや強みを知ってもらう事を意識していました。その為、早いうちから担当を持たせてもらい、強みを活かすチャンスを沢山与えてもらう事ができたと思います。

After the Special Seminar

編集後記
久しぶりにアシックスの石指氏と再会した。相変わらず圧倒的な熱量だった。今回は仕事の範疇ではないにもかかわらず、何ひとつ手を抜くことなく一生懸命で、細かい所まで気配りし、最初から最後まで全力でセミナーに協力してくれた。すべては後輩のため。その彼の姿勢に感銘を受けたし、さらに彼の手掛けるプロダクトへの期待値が高まった。これからも世界のランニングシーンに一石を投じてほしい。また、今回の特別セミナーのためにご協力いただいた株式会社アシックス のパフォーマンスランニングフットウエア統括部にもこの場を借りて感謝を伝えたい。今回も様々な立場の方々の協力で実現した特別セミナーが、学生にとって何かひとつでも将来のヒントになっていれば幸いに思う。
SHOES MASTER編集部

協力:
株式会社アシックス
ヒコ・みづのジュエリーカレッジ

About Hiko Mizuno College of Jewelry
渋谷にある創立56年の専門学校。「シューズコース」は2004年に設立。革靴・スニーカー・パンプス・ブーツなど、あらゆる分野の靴のデザインと制作を学び、海外のさまざまな有名靴ブランドや教育機関の協力のもと、国際的に活躍できるシューメーカーを育成している。
https://www.hikohiko.jp/shoe_and_bag_maker

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