Photo : Masataka Nakada (STUH)
Edit & Text : Shin Kawase

The future of atmos and the future
of Japanese sneaker market.
Hidefumi Hommyo(atmos) Interview

2000年にアトモス1号店を原宿にオープンさせて18年。今やアトモスは31店舗、スタッフも300名を越える大所帯となった(グループ店を含む)。日本を代表するスニーカーショップとしてアトモス代表の本明秀文氏は、今、何を考え、今後どのようなアクションを起こしていくのか?アトモスの未来と日本のスニーカーマーケットの未来について聞いた。

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本明秀文(ほんみょう ひでふみ)
テクストトレーディングカンパニー代表。1969年生まれ。アメリカの大学を卒業後、商社勤務を経て、1996年に原宿のジャンクヤードにスニーカーショップ「チャプター」をオープン。1997年、「テクストトレーディングカンパニー」設立。2000年、「アトモス」をオープン。2013年、「スポーツ ラボ バイ アトモス」をオープンし、現在、グループショップを含め31店舗を展開。現在、年商100億を超える優良企業に成長している。

僕は学生時代、あんまりデキがよくなかった(苦笑)。
だから、親父にアメリカに行けと言われてアメリカに行ったんです。

–––スニーカーショップを始めたキッカケは何だったのでしょうか?
僕は四国の高松で生まれて、基本的には東京で育ったんですけど、親父が保険会社のサラリーマンで、小さい頃は色々な所を転々としました。弟は染色体異常のダウン症に加えて、生まれたときから心臓に穴が開いてて…。東京・小平の小児病棟にずっと入院していたので小平に長くに住んでいました。それで弟が亡くなったんで、それからまた転勤で静岡、長崎に行って、それで東京に帰ってきたんですよ。その当時中学生。中学、高校って東京だったんですけど、僕はあんまり勉強しなくて、基本的にデキがよくなかったです(苦笑)。それで一浪したんですけど、結局駄目だったんで親父にアメリカに行けと。それでアメリカに行ったんですよ。オハイオ州の学校に行って寮に住んでたんですけど、ある日学友から何もしてないのに「ヘイ、ジャップ!」って言ってみかんを投げられた。それで頭にきて喧嘩してしまって…。今でも向こうに非があると思っているけど、寮に居られなくなった。僕はサラリーマンの息子だったから、寮以外はアパートを借りるお金もないし、車もないし、何もないんで、住む場所がなくなって一旦は、アメリカから帰ってきたんです。それから、もう一度アメリカに行ってフィラデルフィアの大学に入った。今度は無事卒業して日本に帰ってきました。帰ってきたけど就職しないで結局2年半位ぷらぷらしてましたね(苦笑)。それから日本橋の商社に就職しました。商社では貿易部門に配属されて中国の工場でTシャツなんかを作っていました。でも、そこでも喧嘩して建材部門に部署異動を命じられて…。その時にもう会社に居たってしょうがないから自分でやろうかと思って商社を辞めて自分でやり始めたんです。それが27歳の時でした。お金も全然無かったので、僕が75万、嫁さんが75万を金融機関から借りて。それを見兼ねたうちの母親が150万貸してあげるよって応援してくれたんです。300万の資金をもとに自分で商売をスタートさせました。初めは週末にフリーマーケットやって、原宿のジャンクヤードっていう所で古着とスニーカーを2年位売っていました。でも古着のブームも去って、自然とスニーカー屋にシフトしていきました。それから1996年に「チャプター」をオープンさせて、2000年に「アトモス」をスタートしました。アトモスという店名は藤原ヒロシさんが付けてくれました。

–––2000年当時の原宿の状況を教えてください。
今より2000年の原宿のほうがずっとお洒落でしたよ。今の原宿は、観光地化してしまってディズニーランドっぽいですよね。ちょっと遊びに行ってみようか、みたいな感じで来る人とインバウンドの街になった。2000年の当時は、もっとシリアスなファッションマニアみたいな人がいっぱい来て盛り上がっていたんですけどね。

–––好きなブランドを教えてください。
僕はずっとナイキと一緒にやっているんで、ナイキが一番好きですね。

–––今、注目しているブランドはありますか?
ホカ オネオネとドクターマーチンです。

人生の転機の時に履いてたのがベストスニーカー。
僕の場合、コレクターでなく、その靴と一緒に働いてたんで。

–––今、何足位のスニーカーを所有されていますか?
昔は500とか600足位持ってたんですけど、子供が生まれてから整理して今は70足位ですね。

–––大学生から現在までの「マイ フェイバリット スニーカー」ベスト3を教えてください。
ベスト1は、独立した当時、叩き上げの時代に一番履いてた、ナイキ エアフォース1。チャプターをオープンさせて本気でスニーカーを始めた頃です。銀色のスウォッシュのハイカット。大好きでもうずっと履いてました。ベスト2は、アトモスをスタートさせた頃によく履いてたナイキのフットスケープ。当時はアトモスがここまで大きくなるとは想像も出来ませんでした。ベスト3は、アシックスのGT-2000 ニューヨーク。2005年に病気になって体調が悪い時期があったんです。C型肝炎でインターフェロン打って、体力なくなって、全然やる気が出なくて…どんどん痩せていくんですよね。もう死ぬんじゃないの、みたいな。今は体調も戻って67キロ位あるんですけど、当時は48キロでしたからね。その体調と体重を戻すのにGT-2000 ニューヨークを履いて歩いてたんです。それから今も毎朝歩いています。今でも朝の散歩はずっとアシックスです。こうして振り返って見ると、人生の転機の時に履いてたのがベスト3足になりますね。人間、苦労した時に履いていたスニーカーっていうのが一番好きなのかも知れません。僕の場合、コレクターっていうよりも、どっちかっていうと、その靴と一緒に働いてたんで。そのスニーカーを見ると当時の色々な思い出がフィードバックしてきます。

今までメディアの露出はなく、本邦初公開となったアトモスの事務所。お世辞にも広くてきれいだと言えないでいると「年間100億円以上売り上げているオフィスには見えないでしょ(笑)。そして、僕も100億円売り上げている社長には見えないでしょ」と笑った本明社長の笑顔が印象的だった。本明社長のデスクで自由に使えるのは、スマホを置けるスペース位しかなかった。

僕の場合、友達がみんなスニーカーみたいな。
スニーカー好きなやつとは友達になれる。

–––本明社長が考える「スニーカーの魅力」とは、何でしょうか?
スニーカーが一つの共通の言語で、友達って言ったらおかしいですけど、コミュニケーション手段ですよね、僕にとっては。でも今の人達って、どっちかっていうとスニーカーが貨幣になっちゃってるんですよ。だからすぐ転売したりする。僕の場合、友達がみんなスニーカーみたいな。スニーカーマニアや、スニーカー好きなやつとは友達になれる、みたいな。だから言葉みたいなものですよね。例えば、エア マックスが好きと言ったら、エア マックスの95がいいの? 90がいいの? 97がいいの?とかっていう会話の一つの道具みたいな感じですね。それは洋服にはない魅力だと思います。

–––売れるスニーカーと売れないスニーカーの差はどこにあるとお考えでしょうか?
売れるスニーカーっていうのは、夢がないかもしれないですけど、転売できるか転売できないか。それって何っていうと、カラーリングだとか、昔から売れてるオージーだとか限定された生産数や誰が履いたなどの話題性があるスニーカーが売れるスニーカーの条件ですね。あと、女の子に売れるっていうのは結構大きいです。ニューバランスだってアディダスのスタンスミスにしたって女の子で売れると、男も追っかけるっていう。結局、女性が中心なんですよね、世の中。今、プーマのレディースが売れてるんですけど、何となくメンズも売れてきてるんですよ。逆に売れないスニーカーっていうのは、見ててシャキッとしないスニーカー。僕たちが売ってるのってスポーツ用ではないじゃないですか。ファッションアイテムなんで、その時代に合ってないものは売れないですよね。今だともうスタイルが決まってて、ある程度ボリュームがあるスニーカー。ズボンがシュッとしてるんで、ちょっとポテッとしてないと売れないです。だから、ソールが厚いものとか売れますね。例えば今人気のホカ オネオネとかもソールが厚いスニーカーなので支持されていると思います。でも売れるスニーカーも、調子に乗ってずっと同じことをやってると時代っていう賞味期限が必ずある。メーカーさんってよく分かってないんで、売れたもんずっと追いかけるじゃないですか。そうすると、始めは売れてても、廃れちゃうんですよ。そうすると、もう時代に合ってないのでどうやっても売れないですよね。

–––売れるブランドと売れないブランドの差はどこにあるとお考えでしょうか?
ナイキが売れ続けてるのは、ヘリテージがいっぱいあるってことですよね。いわゆる型数です。それこそ、エア マックスって言っても、リーボックのポンプフューリーみたいに単体ではなくて、いろんな年代のヘリテージがある。残念ながらポンプフューリーって言ったら1型しかなくて、ポンプフューリー1、ポンプフューリー2ってないじゃないですか。アシックスのゲルライトもゲルライト、ゲルライト3、ゲルライト5以外はない。ナイキは、エア マックスだけとっても、あれだけのバリエーションがある。ヘリテージの数の差がブランドが長く売れる、売れないの差だと僕は思いますよ。だから結局、ナイキかアディダスになっちゃう。
あとは機能ですね。履きやすいか、履きづらいか。昔は、スニーカーってある程度重さがないと売れなかったんですよ。でも今は重さがあるスニーカーは全然売れない。軽くないと売れないです。お客さんが「軽いね、歩きやすいね」っていうものがプラスされないと難しい時代になっています。先ほど話に出たホカ オネオネなんかは、圧倒的に軽いんですよね。機能、ファッションという観点での時代性、独特の構造で味わったことのない履き心地を味わえるというすべての要素が備わってるから売れているんだと思います。そういった条件を満たしながら、どういう風に見せていくかを含めたPRが大切ですね。でも、PR、話題作りって難しいですよね…本当に難しい。

–––インラインモデルとコラボレーションモデルについて、それぞれの考え方を教えてください。
僕たちは本当はインラインモデルを売りたいんですよ。ですけど、インラインで本当にバカ売れしたのは、変わり種で言うと、ナイキのエア ズーム ヘイブン、エア ズーム サイズミックだけだと思うんですよね。例えば、エアフォース1のインラインが出るとある程度売れるのは分かっているので、店のスタッフは皆オーダーするじゃないですか。ですけど、サイズミックみたいに新しいものをいかに世の中に売っていくかっていうのが僕たちの使命だと思うんです。コラボレーションモデルや別注モデルって安全パイなんですよ。店のスタッフは、売りやすいモデルを売りたい。ですけど、僕たちはインラインモデルを新しい提案として打ち出していかなければならない。これかっこいいよねっていうのを。インラインモデルをいかに提案できるかが、そのお店の本当のポテンシャルなんです。

ただ売るだけの店ではダメなんです。
儲からなくても面白いと思ったことはやらないといけない。

–––売れるショップ、売れないショップの差はどこにあるとお考えでしょうか?
スタッフのテンションですね。アトモスの取り柄って何?と聞かれたら、自分で言ったらおかしいですけど、僕が一番先頭で戦っていることだと答えます。土曜も日曜も休みなく。どこの会社でも同じだと思うんですけど、いい会社、伸びてる会社って、社長が先頭に立って戦っていますよね。ユニクロの柳井さん、ソフトバンクの孫さんにしても。殿さまが偉そうに一番後ろに居るっていうんじゃなくて、先頭に立って斬られても這い上がってくるぐらいの感じでやっていかないと駄目だと思います。それが伝わっている店長の店が売れています。結局は人が人に売るので、スタッフの意識がすべてです。トラフィック(物量)っていうのはありますけど、トラフィックを超えるものってありますよね。この店がこんなに売るの、みたいなのありますからね。僕が一番すごいなと思うのは、シューズマスターでも取材してもらった志田が店長の渋谷センター街店です。信じられない量を毎月コンスタントに売っているアトモス最強のお店なんです。逆説的ですが、ただ売るだけの店ではダメなんです。儲からなくても面白いと思ったことはやらないといけない。店内にコーヒー屋を作ったのもそうですが、アトモス コン(イベント)やったり、フィギア作ったり。その姿勢だけは変えてはいけないと思っていますね。

–––スタッフはどうやって集めているのですか?
本当にスニーカーが好きなやつがお店に履歴書持ってくるとか、ネットの募集から応募してきたり、友達の紹介だったりですね。店舗が多いので常に人手不足で困ってはいるんですけど、アトモス自体にカラーがあるし、ファンもいるから、人は結構それなりに集まってきて辞めなくて残るんです。でも、お金だけで働いてるスタッフは、年末とか区切りのいい時期に辞めていきますね。結局はスニーカーが好きなやつしか残らないですよ。マニアなスタッフはうちにいれば他で扱ってないスニーカーも社販で買えるからって思うじゃないですか。それがプライドだったりするんで残るんです。僕の周りのお店も人を集めるのが一番大変とかって言ってますけど…特にアパレルのショップは大変みたいですね。でも、なぜ人が集まらないかというと、お店に特徴がないから。個性のないお店に人は集まらない。そこのお店で働きたいと思うお店のカラー、特徴がない店は厳しいと思いますね。

–––本明社長が考える、「優秀なショップスタッフ」とは、どんな人でしょうか?
すごいブラックっぽいですけど、本当に一生懸命に働くスタッフです。自分のために一生懸命働けるスタッフ。一生懸命なスタッフでないと下も付いてこないですし長く続かない。お店のスタッフも企画をやってる事務所のスタッフも、自分の知識がちゃんとお金とか価値につながっていくっていうのを真に理解しているのが優秀なスタッフですね。余談ですが、うちは自分のために一生懸命働いているスタッフには、アトモス ニューヨーク店に研修に行ってもらっています。安心して滞在できるようにアパートも借りているんです。赤井って社員は、研修でもう3カ月位行っています。自分でできると思ったら「いつでも独立していいよ」って応援しています。1カ月位居るとみんな慣れてくるんですよね。もう日本だけで商売やるっていう時代が終わっているし、うちの売れてる店の6割近くは外国人客なので。ニューヨーク店は日本の10倍消費するんです。でも、ジョーダン、エアフォース1などボリュームがあるバスケットボールシューズしか売れないんですけど。スタッフには海外での生活、接客を経験しといたほうが絶対いいと言っています。

–––本明社長が店頭に立つこともありますか?
はい。忙しければいつでも事務所に荷物を置いてお店に立ちます。原宿店が多いですね。基本的に生息してるのが新宿から渋谷の間なので。

–––アトモス以外で気になるスニーカーショップはありますか?
自分たちのことで精一杯だし、休みもなく毎日本当に一生懸命なんで、他のショップがどうこうとか見てる暇がないというか興味がないです、正直言って。ミタスニーカーズとたまに比較されているそうですが、ミタスニーカーズが何をやってるかも分からないです。自分たちの店以外にはまったく興味がなくなりました。他の店を調べている暇があったら自分の店に集中したいし、ちょっとした時間があるなら、哲学書を読んだほうがいい。カントが何を考えてるか、ハイデッガーが何を考えてるか、とかってほうに興味がありますね。

–––リアルショップとネットショップについての、それぞれの考え方を教えてください。
だんだんネットショップのほうが売れるようになってきたんですよ。ここ2年間ぐらいのネットの売り上げの伸びはすごいです。アトモス全体の売り上げでも、35パーセント、40パーセントぐらいはネットだと思います。この理由として、今まではPCからの購入が多かったのですが今は8割ぐらいが携帯じゃないですか。いつでもどこでもみたいな環境になったのは大きいですね。お客さんとの接点っていうのがSNSになっていて、それを紹介できるのがお店みたいな。持ちつ持たれつの関係なんじゃないかと思いますよ。ウェブで売るためには、その地域にお店がなかったら売れないんです。店がない地域に出店するのは、お店を出すとネットも売れるから。リアル店舗の出店はネットで売るための宣伝でもあるんです。だから優秀なショップスタッフとリアルショップが大切なんです。でも、1年位やらないと根付かないですね。結局は、人が人に売るのでスタッフとお客さんの人間関係を築くには時間が掛かるんです。

–––新店舗をオープンするに当たって一番大切にしていることは何でしょうか?
アトモスらしい雰囲気や見せ方が出来るかどうかですね。僕たちは、単純にセレクトで勝負してるんで、これいいでしょ!っという見せ方ができないと難しい。お店をどうしようっていうよりも、どうしたらいい商品が入るかっていうのを考えてるんですよ。お店の内装っていうのは、大体靴がダーって並んでる感じなので、そこに何をはめ込むかが命なんです。だから、一生懸命、メーカーさんと交渉していいものを持ってくる。逆に言うと、いいものをはめ込めないようだったらお店は出しません。はめ込める要素があるから、いい物件を探して出店しているんです。アトモスの場合は、その仕事をすべてディレクターの小島がやっています。アトモスは、企画もMD※も別注の構成に至るまで小島中心に回っています。
※MD
消費者の欲求に適合するような商品を、適正な数量・価格で、適切な時期・場所に供給すること

–––2020年、アトモスはどうなっていると思いますか?(具体的に教えてください)
今、スーツを着て会社に行く人がどんどん減ってると思うんですよ。政府が革靴よりスニーカーを推奨したり、高速度的に日本はカジュアル化していくと思うんです。東京だとノマド的に仕事をしている人も多いじゃないですか。これって生活の一大転機だと思うし、ライフスタイルの変化に伴うカジュアル化に合わせたアスレジャーのお店がやりたい。アメリカでやってるようなものの東京版が出来たらいいと思っています。2020年って言ってもちょっと先だけど、劇的にライフスタイルが変わっていると思うから、それに合わせたアトモスらしい、東京らしいお店をメンズ、レディースともに作れたらと考えています。

–––最後にSHOES MASTER読者へ、アトモスのここに注目して欲しいというところを教えてください。
バカやるところに注目してもらいたいですね。こいつら何考えてるの(笑)、バカじゃないのみたいな。

本明社長のデスクは入口ドアに一番近い場所にある。なぜなら、スタッフがオフィスに入ってくる時と
外出する時に必ず本明社長の前を通らないといけないから。その2回のタイミングで全社員と
コミュニケーションを取っているらしい。そして誰よりも朝早く出社してここに座っているそうだ。

編集後記
今回の特集企画で、古くから付き合いのあるアトモスの本明社長を取材させてもらった。本明さんが2000年にアトモス1号店を原宿にオープンさせて18年。今やアトモスは、グループショップを含め31店舗、スタッフは300名超、年商100億を超える優良企業に成長した。その数字に改めて驚くが、最も驚くのは、本明さんに驕ったところが何ひとつないことだ。そこにあったのは、誰よりも朝早く出社し、お世辞にも広いとは言えないスペースで社員と机を並べて働き、休みなく先頭に立って必死に戦っている本明社長の姿だった。スニーカーブームが去ったと言われる昨今でも、アトモスは売上を伸ばし続けている。そのことについて聞くと「売れてないお店は、努力してないだけ」と返ってきた。今のアトモスがあるのは、圧倒的な企業努力の賜物だ。それに比べ、果たして自分はどうだ?と取材後から自問自答が続いている。
河瀬 真(PUBLISHER&PRODUCER)

INFORMATION
Sports Lab by atmos 
東京都新宿区新宿4-1-1 新宿サウスアヴェニュー 1F 
03-6457-8755 
www.atmos-tokyo.com

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