Photo : Yuta Okuyama (Ye)
Tobira&banner Photo : Masataka Nakada(STUH)
Edit & Text : Shin Kawase

Hiko Mizuno OB talks
"The most important thing for shoe creators"
by SHOES MASTER

シューズ・マスターでは、創刊当初から専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ「シューズコース」を取材してきた。「シューズコース」設立15周年にあたる一昨年には、ヒコ・みづのOBの仕事現場を取材し、4回に渡る人気企画となった。読者のみならずシューズ業界でも話題になったOBは、現在どのような仕事をしているのか?編集部主催で開催した特別セミナーの様子をお届けする。

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7月6日に開催された特別セミナーは、編集部ナビゲーションにより、ヒコ・みづのOBを招いてヒコ・みづの校舎で行われた。第1回のゲストは、ミズノ株式会社の齊藤健史氏。自らが手掛けたプロダクトを紹介しながら、「シューズクリエイターにとって一番大切なこととは何なのか?」を語ってもらった。

ヒコ・みづのOBが語る
「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
by SHOES MASTER

ゲスト:
齊藤健史
ミズノ株式会社 グローバルフットウエアプロダクト本部 
企画・開発・デザイン部ライフスタイル企画課所属兼デザイン課所属

1980年、千葉県生まれ。中学・高校で陸上部に所属し、現役オリンピックコーチの指導のもとハードルで世界を目指すが、アスリートをサポートする側に回ってシューズを開発することを決意。大学、ヒコ・みづのを卒業後、ナイキジャパンに入社。10年在籍した後、2017年にミズノに入社。ランニングシューズを担当しながら、ミズノのニューレーベル“rhrn”(アールエイチアールエヌ)を立ち上げ、現在は、ミズノスポーツスタイルのインラインとすべてのコラボレーションモデルを手掛けている。

ナビゲーター:
河瀬 真(SHOES MASTER発行人&プロデューサー)

2004年3月創刊の雑誌「SHOES MASTER」の発行人&プロデューサー。2009年、書籍シリーズ「Sneaker Tokyo」を発行。スニーカーに関するウェブ、広告、カタログ、映像、販促物などを手掛け、2014年からランニングギア専門誌 & WEB「Runners Pulse」プロデューサーを務めている。

From birth to admission to Hiko Mizuno
~生い立ちからヒコへ入学するまで~

ヒコ・みづのシューズ&バッグコースの学生の中から、自分のブランドを立ち上げたい人、スニーカーやスポーツシューズに興味があり、スポーツメーカー入社を希望する学生30名が集結。ヒコ・みづの校舎内の多目的スペースは、学生と観覧を希望して訪れたスニーカーユーチューバー、スニーカーファン、シューズブランドを手掛けるヒコ・みづのOBも駆け付け満員御礼。学生の多くが真剣な表情でメモを取って聞き入っていたのが印象的だった。

学生とのディスカッションの前には、齊藤氏の生い立ちからヒコへ入学するまでの経緯が語られた。高校時代の陸上部の先生が、ハードルの現役オリンピックコーチだったこと。全日本合宿に参加したことで世界との差を痛感し、世界で活躍するのは無理だと悟ったこと。でもその時にアスリート達をサポートするシューズを作りたいと思ったこと。大学を卒業して自宅を設計した後、電器雑貨メーカーで勤務していた頃、「SHOES MASTER」の誌面でヒコ・みづの「シューズコース」の存在を知ったこと。会社を退職し、貯金をはたいてヒコ・みづのに入学したこと。など、今に至る経緯が包み隠さず語られた。ヒコ・みづの在学中に製作し、賞を受賞した作品の詳細についても本人から丁寧に説明があった。

ヒコ・みづの卒業制作 (NIKE TOKYO DESIGN POD賞受賞)
齊藤健史作

より早く走るために、足と靴の隙間を極限まで無くすことでトラックへのエネルギー伝達のロスをゼロに近づけることをコンセプトにしたスプリントスパイク。本来シューズは足にアタッチメントするものだが、筋繊維が増幅・膨張しそれが走るために特化した形状に変形したらというデザインコンセプト。チーターの足形状と、日本古来から伝わる草鞋(わらじ)の効率的に地面を足趾でとらえる構造を元にデザインされているそうだ。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL
ヒコ・みづのOBの今と未来~Mizuno編~
http://www.shoesmaster.jp/special/hiko-mizuno-shoe-maker-course-15th-anniversary-part4

 

From Nike Japan to joining Mizuno
~ナイキジャパンからミズノに入社するまで~

ヒコ・みづのの学生時代にナイキジャパンでインターンとして働き、卒業時に新卒での採用はなかったが、4ヶ月の空白期間を経て、念願が叶いナイキジャパンに入社したことが語られた。入社してすぐに製品化されたのは、齊藤氏がヒコ・みづのの学生時代にデザインインターンで作成したロゴがシューズに入れられたプロダクトだったというから驚きだ。その後もスニーカーファンの間では有名なプロダクトが次々と紹介され、会場の学生を湧かせていた。

齊藤健史作
ヒコ・みづのの学生時代にデザインインターンで作成したロゴ。2008年の“Year of the Mouse”パックのためのロゴデザインのエスキスで2008年と干支である子(ねずみ)を掛け合わせたデザイン。どの国の方が見てもねずみと認識できるようなデザインを意識したそうだ。

NIKE Vandal Low PS “Year of the Mouse Pack”(2008)
アジアパシフィックを中心として発売されたキッズ、インファント用のシューズで事実上、齊藤氏がナイキで最初にデザインしたシューズ。つま先と踵の部分に紫外線が当たると同じねずみのロゴが全体に浮き上って現れる仕様になっている。

NIKE Dunk Hi Premium 08 Nagoya(2008)
“NIKE Dunk City Attack Pack”

NIKE Dunk Hi Premium 08 Hakata(2008)
“NIKE Dunk City Attack Pack”

2007年にデザインして2008年でに発売されたナイキの「ナイキ ダンク シティアタック パック」。スニーカーファンの間で話題を呼んだ日本の主要都市をイメージしたご当地企画。もちろん即日完売で齊藤氏は名古屋と博多を担当した。

 

Work at Mizuno
~ミズノに入社してからの仕事~

ナイキジャパンを退社後、ミズノに入社するまでの苦労や、入社後に大阪に転勤になったことなどが語られた。そして、プロダクトのみならず、ブランド名やイメージ映像、オフィシャルスチールに至るまですべてを自らが企画した「rhrn(アールエイチアールエヌ)」の誕生秘話を紹介。

発売当日、ドーバーストリートマーケットギンザには行列ができた。ミズノのスニーカーを買うための行列を作らせた齊藤氏の功績は大きい。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL
rhrn born from new technology
http://www.shoesmaster.jp/special/sm-web-special-rhrn-2-about-mizuno-enerzy

2021年2月リリースのミズノと日本が世界に誇るアーティスト、空山 基氏との共作モデル「ウエーブプロフェシー ソラヤマ」がサイン入りで披露された。発売後、海外、日本国内ともに瞬間的にソールドアウトしてしまったため「欲しかったけど買えなかった幻のモデル」として多くの学生の目を引いていた。

アーティスト、空山 基氏と試行錯誤を繰り返しようやく完成した「ウエーブプロフェシー ソラヤマ」。齊藤氏の執念が不可能を可能にした本モデルは、ミズノを代表する歴史的傑作となった。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL
About HAJIME SORAYAMA × Mizuno
http://www.shoesmaster.jp/special/sorayama-x-mizuno-hajime-sorayama-takeshi-saito-special-interview

 

About the work I’m doing now
~現在、手掛けている仕事について~

ミズノ時代の話の最後には、現在リリースされている人気モデル「ムジン」のコンセプトが説明され、まだ発売前の2022年秋冬コレクションの新作まで齊藤氏によってお披露目された。

Design drawing by Tuan Le (2007)
人気モデルのムジンは、トレイルランニングシューズのソールに、世界的なシューズデザイナーであるトゥアン・リー氏作のアッパーをハイブリッドさせた齊藤氏が手掛けた最新作のひとつ。

アメリカ・ポートランドにてトゥアン・リーさんと。トゥアン氏はミズノの名作「ウエーブライダー1」もデザインしているミズノには欠かせない存在。

参考記事:
SHOES MASTER Web SPECIAL
About 2021 Fall / Winter “WAVE MUJIN TL”
http://www.shoesmaster.jp/special/mizuno-sports-style-2021-fall-winter-new-model-about-wave-mujin-tl

 

To Mr. Saito(Mizuno)
Questions from students
~ヒコ・みづの学生からOBの齊藤氏への質問~

齊藤氏が現在手掛けている仕事の説明が終わるとヒコ・みづの学生からOBの齊藤氏への質疑応答が行われた。学生への回答は割愛するが、ひとつひとつの質問に丁寧に答えていく齊藤氏と真剣に聞き入る学生の眼差しが今でも目に焼き付いている。シューズ業界の第一線で活躍している齊藤氏は、彼ら、彼女らにとって偉大な先輩であり、大きな目標なのだと感じた。

特別セミナー「シューズクリエイターにとって一番大切なこと」
学生から齊藤氏への質問:
現在の仕事で最も活きている学生の時の経験はなんですか?(3年制2年生)
ミズノに入って良かったと思うところはありますか?(3年制2年生)
社会人になってから変わった点は何か。逆に変わらず続けていることは何か(3年制2年生)
デザイナーになって一番必要だと感じたスキルは何ですか?(1年生)
今後どんなシューズが増えていくと思いますか(3年制2年生)

etc.

セミナーを終えての学生の感想:
「ビスポークシューズに興味があったので、生産のことを考えたデザインについて考えてなかったので、改めて気づきがあってよかったです」
「現在に至るまで結構回り道されているんですね。回り道も悪くないんだと思いました」
「紆余曲折なくストレートで夢を叶えて、ご活躍されている方のお話も聴いてみたくなりました」
「学校の中で賞を取っても大したことがない!もっと頑張ります!」
「時代を感じましたが、情熱が大切なんだなぁ、何かを始めるのにいつからでも遅くないんだなぁと感じました。」
「売れなければゴミになるから、リサーチやコンセプトが大切。って考え方が刺さりました。
リサーチが大切だと実感できました。頑張ります!」
「セミナーに参加してやる気が出ました!」
「齊藤さん優しい、めっちゃいい人!」

編集後記
今回はじめて、編集部主催での特別セミナーを開催した。きっかけはヒコ・みづの広報部スタッフに「年々、シューズクリエイターを目指す学生が減っている」と聞き、少しでも力になれたらと思ったからだ。シューズ業界では「優秀な人材が不足している」と度々耳にする。しかし、創刊当初からヒコ・みづの「シューズコース」を取材してきた我々は、ヒコ・みづのOBが現場で優秀な人材として活躍する姿をよく知っている。それはそのままヒコ・みづのの学生が優秀な人材に成り得るということだろう。学生の中には「SHOES MASTER」の誌面やウェブサイトを見て入学を希望する人が結構な数いるそうで、齊藤氏もその一人だ。人の人生を大きく変えるターニングポイントに弊誌が関わっているとすれば、何かの形で応援する責任があるのではないか?我々ができることは、現役の学生と、現場を知るOBの接点を作ること。それを実現するには障壁となる企業の壁を取っ払って協力してもらうことが必要不可欠だった。今回のセミナーは、ミズノ株式会社のマーケティング部、広報部の協力がなければ実現していない。寛大で懐の深い担当者にこの場を借りて感謝を伝えたい。様々な人達の協力で実現した特別セミナーが、学生にとって何かひとつでも将来のヒントになっていれば幸いに思う。

協力:
ミズノ株式会社
ヒコ・みづのジュエリーカレッジ

About Hiko Mizuno College of Jewelry
渋谷にある創立56年の専門学校。「シューズコース」は2004年に設立。革靴・スニーカー・パンプス・ブーツなど、あらゆる分野の靴のデザインと制作を学び、海外のさまざまな有名靴ブランドや教育機関の協力のもと、国際的に活躍できるシューメーカーを育成している。
https://www.hikohiko.jp/shoe_and_bag_maker

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